ふ〜。やっと更新できます。
前回のおさらい。
・昭和50年代の宮古島では民放の放送が無く、民放を観る為に月々3000円のケーブルテレビ局との契約が必要だった。
・そのケーブルテレビでは毎週月曜日の20時に新日本プロレス。毎週木曜日の21時に全日本プロレス(再放送は土曜日の15時)が放送されていた。
・宮古島でのプロレス人気は凄まじく、視聴率が70%を超えていたという都市伝説がある。
こんな感じですかね。
実は、今回の記事に関しては、僕が全日派に移った経緯を書きたかっただけなのですが、宮古島の紹介とかしているうちにどんどん前置きが長くなってしまった(汗)
僕は4〜5才でした。
あの当時の僕の両プロレス団体の印象は、新日はキラキラ。全日は暗い。という印象でした。
まだまだブッチャーやタイガージェットシンが大暴れしている時代で、流血試合も多かった印象がありますね。でも、僕は割と平気な方だったと思う。
しかし、どうしても苦手なレスラーが新日本にいたのです。
風貌が怖い!
声が怖い!
入場テーマが怖い!
とにかく怖い!
夢でアンドレに襲われる夢を見たことあって、トラウマ級に怖かったです。
(晩年、ジャイアント馬場さんとタッグを組んでいた時は流石に平気で、むしろ応援していました。)
じゃ、全日本プロレスはどうだったのか…。
いました。苦手なレスラー。
風貌が怖い!
目が怖い!
奇声が怖い!
唇ブルブルが怖い!
吹けよ風、呼べよ嵐が怖い!
いつも血ぃダラダラが怖い!
なんだかアンドレより怖いですね。
あのね、当時のレスラーは幼き子にはトラウマになる程怖いレスラーがいっぱいいたと思う。
ただそれは今ではもう絶滅したに等しいですね。少しさみしい。
そんな時僕が目にしたあのレスラー。
“千の顔を持つ男” “仮面貴族” “スカイハイ”
そう、我らがヒーロー…
衝撃的でしたね。
花道から颯爽と現れる。コスチュームから何から派手で、それは当時流行ったヒーローもののギャバンとかシャリバンとか、そんな印象がありました。
選手コールを受けると1枚目のマスクを脱ぎ捨て、試合ではダイビングボディアタック、フライングクロスチョップ、プランチャと、空中殺法のオンパレード!またそのフォルムもかっこいい!
幼き頃の僕にはもうたまらないレスラーはでしたね。
以降は全日を好んで見ることになります。
21時放送の頃にはお寝んねしてたので、再放送である土曜日の15時はよく観てました。
一応、同時期に新日にはタイガーマスク(初代)もいましたが、僕的には先に目にしたマスカラスの方がインパクトあったので、タイガーマスクよりはマスカラスでしたね。もしかすると、先にタイガーマスクを見ていたら、新日派になっていたと思います。
いまだ現役(笑)。ちょっと怖くて見れない。
本当にプロレスが好きなのでしょう。
好きなことに一生を尽くせるなんて、羨ましいです。
僕もまだ旅の途中。
ま、のんびりいきますわ。
↓ゲームでミル・マスカラスを再現した動画↓
素晴らしい!
何気に鶴見五郎がいるのも素晴らしい(笑)
おわり