僕はこのブログで度々沖縄出身である事を書いてますが、生まれは沖縄本島よりももっと南に位置する「宮古島」になります。11歳まで過ごしていました。
これを読んでいただいている皆さんは、宮古島という島の名をなんとなく聞いた事があると思いますが、どういうイメージをお持ちでしょうか?
だいたいが「綺麗な海」「熱帯」「観光地」こんなもんでしょう。ってか、僕もそんなもんだと思ってます(笑)
あと、トライアスロンの全国大会があり、毎年4月になると、島全体が活気にあふれ素晴らしい時間を過ごせます。
余談ですが数年前まではオリックスバファローズの春季キャンプ地でもありました。(確か今はやってない)。
実は今回もプロレスネタなのですが、その前にもう少し宮古島について書いてみます(いつもながら僕の知り得る情報の範囲)
まず、山がありません。ただほんとにちっちゃな山、というか、丘のようなものが二つ並んでいる場所があって、だれが呼んだか、それを「おっぱい山」と言います(笑)。正式な名前はわかりません。別名ではフタゴヤマです。
http://kitami0226.blog.fc2.com/blog-entry-751.html
山がないので、川もありません。これも「川っぽいもの」はあるのですが、それは地下水が豊富で、地下から溢れたものなのです。
あと、沖縄なのにハブが生息していません。
そんな宮古島なんですが、僕が過ごしていた昭和50年代後半から60年代の宮古島は、テレビ事情がけっこう特殊な環境でした(本題のプロレスの話はも少しあと)。
あの当時の宮古島のテレビ事情は、まず民放の放送がないので、NHKと教育テレビオンリー。その影響で、小学校1年生の時の好きなテレビ番組は「独眼竜政宗」でしたw
近所のレンタルビデオ屋さんでは、本土で放送された番組を普通に録画して、それを貸し出ししていた。ドリフ大爆笑なんてそれで知りました。
しかし、たった一つだけ民放を普通に見る方法があって、「宮古テレビ」という超ローカル局と契約すると、チャンネルが2つ増え、更に衛星第1と第2の放送を見る事ができました。これは今で言うケーブルテレビにあたると思います。月々3000円だったかな。
チャンネルが2つ増えると言っても、当時はネットも当然ないので、マスターの番組データを飛行機で送ってもらう感じでした。ゆえに1〜2週間ほど遅れての放送となり、特に何系列(フジ系、日テレ系とか)でもないので、各局の番組をごちゃ混ぜに放送。時間帯もバラバラ。笑っていいともなんて、夕方の放送でしたね。更に、マスターのデータなので、CMもまんま放送され、当時沖縄には存在しない、ビッグカメラとか、セブンイレブンとかのCMも流れていたため、CMソングは沖縄本島の人より詳しかったと思います。
さ、そしていよいよここからプロレスネタですが、全国的にみて、すでにプロレスは深夜枠に移った時代でしたが、 宮古島では月曜日の夜8時に“新日本プロレス”。そして木曜日の夜9時といえば…
“全日本プロレス”
の放送があったわけです。
ゴールデンです。ゴールデン。
さらに、全日に関しては、土曜日の15時から再放送もありました(新日ももちろん再放送はありましたが、日程を覚えていません)。
宮古島ではめちゃくちゃプロレスは人気ありました。娯楽のない島でもありますしね。一説では視聴率が70%は超えたという話もありますし、学校でも昨夜の試合についていつも話題になりました。タイガーマスク(2代目)がタイガードライバーを出した試合を始めてみた時なんて、みんなその話題で持ちきりになったことを凄く覚えています。
今回は僕が幼い頃から全日本派だったいきさつを描きたかったのですが、長くなるので、続きはまた次回に。
それにしても、ほんと寒くなりましたね。
僕は今愛知県に住んでますが、かなり冷え込んできました。
体調には気をつけましょう!
ではでは。