たいらじゅんが日記を書くってよ

日記・備忘録、的な。

2020年5月15日(金) 平和を考える時に“悪”は必要なのか?

 

 

平良こずえの歌う「こんなにも澄んだ空の下で」は、僕が作詞を手掛け、作曲はまた君に恋してるの森正明が担当している。

2015年6月に発売された、平良こずえ1stフルアルバム「サーユイサモーレ!」に収録された。

 

この曲は、いわゆる「詞先」(しせん。歌詞が先に出来て、あとから曲を作る流れ)で誕生し、楽曲自体は、最後にボーカルをレコーディングする数分前、かなりギリギリのタイミングで完成した。

 

ここでは僕が担当した歌詞について書いておこう。

 

この曲のテーマは「平和」。

僕にとって公園は平和を象徴する場所。

家族の日常が溢れ、子供達が走り抜け、砂場で砂まみれになり、母親達は談笑し、恋人たちが手をつなぎ、ベンチには昼寝のサラリーマン、ジョガーは息を弾ませ、空はどこまでも青く、風は優しく撫で、木々の緑が踊り、夜は月と共に静寂に溶けていく。

この曲は、そんな公園が舞台になっている。

 

不思議に思っていることがある。

人はなぜ平和を求める時に争うのか。

それはもうすでに平和ではない気がする。

己の正義から悪を作り、傷つけ、排除する。

僕は沖縄で育った。

あの教育は危険だ。

日本兵憎し、アメリカ兵憎しを産み出しやすい環境にある。

第2次世界大戦時に地上戦の舞台となったこともあり、平和教育に力を入れるのは分かるが、教育の過程上、憎しみが生まれてしまう可能性があるのは、僕としては間違った教育に見えてしまう。

 

平和を考えるときに悪は必要なのか?

 

例えば、地球の平和を守る戦隊ヒーローや、侵略から国を守る歴史ファンタジー系の物語であれば、悪があってこそ平和が尊く輝く。ただ、それは仮想世界、つまり虚構の中での話し。

 

僕は、音楽のなかに平和のメッセージをこめる時、シュプレヒコールを挙げることではなく、日常を描くことにした。

 

今日も、近所にあるブランコとスベリ台と鉄棒しかない小さな公園には、子供達の笑い声が響いていた。

愛すべき瞬間はいつだってそこにある。

 


平良こずえ / こんなにも澄んだ空の下で

 

おわり。