【戯言】僕がいままで作ってきたもの
先日、ツイッターでこんなことをつぶやきました。
そのつぶやいた内容のネタ動画がこちら
※このブログのリンクからしか観れない使用にしました。
ま、くだらないっちゃ、くだらない。
いや、大いにくだらない。
でも、作ってるときの自分って好きなのよ。
それは、音楽をやっていたときもそう。
例えばこんなのとか…
そして、はじめてチャレンジした動画編集がこちら
ふ、古い(汗)
そして先日、マスクド・ニシオカ氏にプレゼントした動画。
ま、僕の場合、偉そうに「編集」と言っても、ありものの素材を切り貼りして、ちょっと変化を加えているだけですね。
だれにでも出来る作業です。
他にも、初めて作った曲とかあるけど、それらは、残念ながら動画には残っていないです。
音楽に関しては、何も無いところから音を紡いでいくので、すこしだけ胸張ります(笑)
一度、HTMLとCSSのみでホームページとかも作ったこともあります。
僕は一人でもくもくと作業をこなす系が、昔から好きだったのですね。
最近、動画を作成することが重なったこともあり、忘れていたこの感覚を思い出しました。
数年前、ちょっとしたゴタゴタがあってね。
いろいろありました。
いつも空を見上げていました。
空に思いを映していました。
時の流れ。
もう戻ることは無い。
忘れていた自分、今ここに。
僕が好きな僕。
ブログを書くの、好きです。
youtubeに動画を投稿するの、好きです。
動画を編集するの、好きです。
音楽作るの、好きです。
音楽演奏するのも、好きです。
運動、好きです。
上手いか下手かと言われれば、全てが中途半端で、どちらかといえば下手です。
でも、なんとなく僕が帰ってきた気がする。
また今日から、少しずつ、少しずつ。
一歩、一歩を、噛み締めるように、生きていこう。
最後に、僕の4作目のオリジナル曲「宴のあと」を載せておきます。
【ゲーム実況】昨日の動画の続き【EWET】
昨日の負けが思いのほか悔しくて、リベンジを試みました。
結果はいかに…!
【リベンジ】ヨーロピアンクラブサッカー ウイニングイレブンタクティクス【ゲーム実況】
む~。夜更かししてしまった。
今日は以上!
おやすみなさい!
【ゲーム実況】10年ぐらいやり続けている“EWET”の実況プレイを投稿してみた。
こんばんは。
みなさんは「ヨーロピアンクラブサッカー ウイニングイレブンタクティクス」というゲームをご存知でしょうか?
通称「ウイタク」または「EWET」。
2004年に発売されたサッカーシュミレーションゲームなのですが、僕は10年ほどこれで遊んでいます。
といっても、僕の戦術眼はぜんぜん成長してませんが...。
同じようなゲームでは「サカつく」が有名ですが、サカつくはオーナー要素(施設への投資とか)も含まれるのですが、EWETの場合は、監督業のみです。
来るべき試合に向け、戦術を練り、練習に落とし込み、試合でも細かな采配を振るいます。
これがまたおもしろいのです。
このゲームは未だに根強い人気を持ってます(相変わらず続編はでませんが)。
僕が購読しているブログの「psycholomemo」さんは定期的にプレイ日記をアップしてるので、すごく参考にさせて頂いています。
少し長くなりますが、どうして僕がゲーム実況の動画を投稿するにいたったのかをお話しします。
僕が毎日のように観ている動画があります。それがこちらです↓
こちらも僕の好きなゲームである「ファイヤープロレスリングワールド」の実況動画を毎日アップしてます。
アップされた動画に対して、僕はできるだけコメントをするようにしてるのですが、マスクド・ニシオカさんはもちろん、徐々に人が集まりだし、一種のコミュニティーのような空間がそこにはあります。
たまに、情報を交換したり、会話したり。プロレス好きの熱い思いがあったり。
はっきり言って楽しいのです。
それで、その楽しい時間を提供してくれるマスクド・ニシオカさんへ、これまでアップしてくれた沢山の動画を、僕の方で編集してプレゼントしました。
それがこちらの動画です↓
かなり強引な編集だと個人的には思ってます(笑)。
で、この動画で使用されている前半のムービーシーンは、元々なんの動画なのかと言う質問が後日ありましたので、その元となっている動画を先日アップしたのです。
それがこちら↓
そう。これは、今回僕がゲーム実況を行っているEWETのオープニングムービーです。
それで、折角なので、実況プレイ動画もアップしてみようかなぁ~と思っただけです。
得意の思い付きです(笑)。
まぁ、ゲーム実況は難しいですね~。でも、意外とおもしろかったですよ。
今後続けるかはわかりませんが。
てなわけで、最後に、今回初めて挑戦したゲーム実況動画を張っておきますので、ぜひご覧ください!
ちなみに、、、
本編終了後に、ちょっとした告知をいれているので、ぜひそちらもご覧ください。
【備忘録】中部国際空港(セントレア)→宮古空港間のチケットを安く、しかも早く到着した時の方法
記事を作成しようとはてなブログへアクセスすると「不倫に誘ってくださったあなたたちへ」という記事がデカデカとあったので、マジマジと読んでました。
うむ。感想は言わないけど、表現力がいいなと思った。
と言うことで、本題に入ります。
前回の記事に書きましたが、11月24日、僕は故郷である宮古島へ帰っていました。
その時、飛行機のチケットを取るのに手こずったのと、次回からはそうしようと思ったことがあるので、備忘録的な感じでここに記述しておきます。
ま、旅慣れしている人にとってはごくごく普通のことかもしれませんが。
【もくじ】
中部国際空港→宮古空港間のチケットを安く、しかも早く着く方法。
この記事を書いているのが12月15日。普通、飛行機のチケットを予約するのは1ヶ月ぐらい前に行うと思うので、1ヵ月後の2019年1月19日(土曜日)を例に考えてみます。
当初僕はその直行便を利用して宮古島へ帰る予定でした。ところが…
2019年1月19日は1便のみ。
価格が22,310円で到着時刻が14:30になってます。
ちなみに僕が前回宮古島に帰った理由が、祖父の四十九日の法要があった為で、14:30着だと法要の時間に間に合いません。
真っ先に、前日に出発する事を思いつきましたが、そうそう仕事も休めません。
そこでふと思ったのが、那覇空港経由で帰ること。つまりは乗り継ぎです。
では、2019年1月19日のセントレア→那覇行きの状況を確認してみましょう。
ふむふむ…。
ここからは、時間帯と価格を加味し、個人によって料金重視、時間重視など選択肢はいろいろあると思いますが、僕はとにかく、午前中には宮古島に着いていたかったので、スカイマーク、セントレア6:00発→那覇8:30着の便を選択し、そこからは全日空、那覇9:35発→宮古10:30着の便を選択します。
◎直行便
料金22,310円 14:30着
◎那覇経由の乗り継ぎの場合
料金19,510円(2便あわせて) 10:30着
となります。
料金は2,800円安く、到着時間に関しては4時間も早く到着します。
僕としては、4時間も早く到着できるのは魅力ですね。
ただし、僕には注意しなければならないことがありました。それは、、、
始発の電車では6:00発の便には間に合わない
ということです。
注意1-早朝便ー
僕は、車を持っていません。なので、セントレア内で1泊するしかありませんでした。
スカイマーク早朝便に乗るため、午前4時10分 名古屋駅発セントレア行のバスに乗ってみた : 絶対に日焼けしたくない!沖縄離島旅行の持ち物
※4時10分に名古屋駅からセントレア行きのバスはありますが、僕の住んでいるところからは不便なので却下。
セントレア内は24時間利用可能なエリアと24時間営業のコンビニがあるので、ベンチで白目剥いて、ヨダレたらして、美しき鼻歌と歯の楽器を響かせて、寝ながらしゃべるという特技を披露しながら、拙者のライオンの如きかっこいい眠りを世の中に披露しても良かったのですが、折角なので、昨年できたカプセルホテル「TUBE Sq」を利用しました。
しかも、温浴施設「風(ふー)の湯」の利用券付きのプラン¥4,530で…。
こうなると、安くでチケット取ってもあんまり意味ない気もしますが、何度も言うように、僕は時間重視でしたので、気にしない気にしない(汗)。
僕はカプセルホテル初体験でしたが、特に苦に感じることはありませんでした。しかし、風の湯を時間いっぱいの22:00まで堪能したせいで、飲食店が2階の中華料理屋さんしか営業していませんでした。ちょっと残念でした。久しぶりに「味仙」の台湾ラーメンを食べたかったのに…。
注意2-乗り継ぎー
ところで、皆さんは国内線で飛行機の乗り継ぎを経験したことありますか?
僕は、仕事で何度かあるのですが、あれからだいぶ年月も経っていますし、チケットの予約などは担当者がやってくれていたので僕はほぼ乗るだけって感じだったわけです。
宮古島へ向かう2日前にようやく、「そういえば、乗り継ぎってどうするんだっけ?」と思ったので、ネットで調べました。
すると、「搭乗手続きの時に一括で手続きすればOK。」という記述もあれば、「乗り継ぎ先で荷物を受け取ったあとロビーへ出て、再度搭乗手続きをする必要があるので、乗り継ぎの時間には余裕を持って…。」みたいな記述があったのです。
「もしかすると、他社間での乗り継ぎの場合、いったん荷物を受け取って、再度手続きをするのでは?」と思いました。
心配になったので、セントレアを6:00に発つスカイマークに問い合わせてみると、やはり、いったん手荷物受取場から出て、再度搭乗手続き(僕の場合は宮古島へ向かう全日空で)を行わなければならない。ということを教えていただきました。
実は、帰りの飛行機も乗り継ぎで、しかも、乗り継ぎ間の時間が40分ほどしかない状態だったのですこし焦りました(結果、パタパタはしましたが間に合いました)。
元々、手荷物を預ける予定は無かったのですが、手荷物を預けてしまった場合、受取場で待つ時間とかを考慮すると、乗り継ぎを利用するときは時間に注意したほうがいいですね。
まとめます!(自分用)
◎中部国際空港(セントレア)から宮古島へ行く際、那覇空港経由の乗り継ぎを利用したほうが、安く早く着くことができる。
◎早朝便利用の場合、前日からカプセルホテルなどを利用してセントレア内で1泊過ごした方が便利。
◎航空会社が他社間での乗り継ぎの場合、手荷物受け取り時間、搭乗手続きの時間を考慮する必要がある(できれば1時間は余裕が欲しい)。
こんな感じです。
次に宮古島へ帰るのは、1回忌のときになるでしょう。
それまでにこれ、覚えているかな…。ポリポリ (・・*)ゞ
今回の記事の動画版
【戯言】思い出への旅【懐古】
11月24日、僕は宮古島にいました。
その日は、祖父の四十九日の法要があり、葬儀に参列できなかった僕と僕の妹もようやく合流し、久しぶりに親戚一同が集った。
僕は愛知、妹は東京。
実は、祖父が旅立った日、二人ともすぐに宮古島へ帰る予定でいた。
ところが、その亡くなった日のあたりは、日本各地で台風の被害がでており、それは空の交通にも混乱を生んでいた。
台風が過ぎ去って1週間以上は経っていたはずなのに、宮古島行きのチケットが売り切れで、さらに、もうひとつの手段である、那覇経由の乗り継ぎルートは、チケット代の高騰が影響し、片道だけでかなりの金額を必要としていた。
父や親戚のおじさんも事態を把握し、葬儀は無理せずに、四十九日の時のチケットを今から予約しておいて、その日に来ればいいという事になった。
とは言うもの、やはり最後ぐらいは行ってやりたかった。今行かなければ、ずっと後悔するのでは?とも思った。
心の中で永遠となった祖父に相談してみる。祖父はいつものように初めは残念がるも、「いいよ。四十九日のときに来たらいいさ。」そう言った気がした。祖父ならそう言うに違いない。あの思いっきりの笑い声で。
叔父(祖父の長男)以外は、皆、宮古島を離れている。だから全員が飛行機での移動だ。
10時半ごろ、僕は一番乗りだった。
うちでは叔父がせっせと掃除をしていて、僕を見つけるなり「お!?電話くれれば迎えに行ったのに。」と、うるさかった掃除機を止めて言った。僕は空港からタクシーで来ていた。なぜそうしたのかは、特に理由はない。
僕はすぐに仏壇へと向かい、線香をたて、揺れる線香の煙の向こう側にいる、祖父の遺影を見つめ、だいぶ長い時間会話をしていた。
少しだけ泣いた。
隣のキッチンでは掃除機の声が轟いていた。
そういえばこの部屋は僕が幼稚園の頃に、学習机を買ってもらって置いていた場所だ。当時、窓際にはジュースやお酒の空き瓶が置かれていた。あの頃は1.5リットルも瓶のタイプがあった。それを回収に来る業者みたいなのがいて、祖母がその空き瓶を売ってお金にしていたのを覚えている。
それにしても、遺影の祖父は、やたら若い。直近の写真はなかったのかと聞くと、いいのがなかったらしい。祖父は91歳で亡くなったのだけど、遺影は5~60代だ。
ま、うちらしいっちゃ、うちらしいか。
隣のスーパーで、愛知では食べることのない「タンナファクルー」と、祖父の好きだった海鮮せんべいを買いに行っている間に、いつの間にか、親戚を含め、みんな揃っていた。僕は、お坊さんが来る前に、と、祖父の好きだった海鮮せんべいを仏壇に供えた。
時間を少し遡る4月のこと。
祖父に余命が告げられ、それを聞いた僕は元気なうちに祖父に会いたいと思い、宮古島に帰っていた。
その時、「これが一番うまい。食べなさい。」と、小皿ではなく、キッチンのテーブルにそのままこぼして、それを摘んで食べていたのが、この海鮮せんべいだった。確かに美味しかった。
この時もたくさんお話した。
比嘉大吾が体重超過で王座を剥奪されたこと(比嘉選手は宮古島で学生時代をすごしているので、宮古島全体、応援に熱が入っていた)。実はその日は、僕の誕生日であることを覚えていたこと。僕の息子のこと。愛知のこと。僕の体調のこと。
たくさんお話しをした。
そして、少し疲れたといって、自分の部屋へ戻り、眠りにつく。いつものように、ボリュームをマックスに近い状態にしたラジカセから流れる昭和歌謡を聴きながら。
僕は隣の部屋でipadをひろげ動画を観ていた。そして、やがて僕もいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
ハッと目を覚ますと、祖父はまたキッチンのテーブルに海鮮せんべいをばら撒いて、それを摘んで食べていた。
僕はそれを後ろから見ている。
祖父は、座ったまま、ジッ…と目を閉じ、時を旅しているように見えた。
いったい、何を思いだしていたのか。
下段、右から2番目が祖父。その隣が祖母。
僕は、実の父の事を知らない。物心をつく前から母方の実家、つまり祖父の家ですごしていて、祖父は僕にとって怖い父親のような存在だった。とはいっても、もちろん基本は優しいし、滅多に怒らないけど、怒ったときはさすがに怖かった。
でも、僕が火遊びで母の部屋でボヤを起こしたときは怒らなかったな…。
幼かった頃、晩御飯は祖父、祖母、僕の3名で食べることが多かった。
なにやら祖母がグチグチ言ってるのを、時には笑ってごまかしたりしていた印象がある。祖父と祖母は、会話が多い夫婦だったと記憶している。
大工の仕事をしていて、親戚のおじさんが言うには、技術が高かったので、信頼されていて、還暦をすぎてからも、しばらくは力を貸してほしいと現場に呼ばれていたらしい。
そういえば、この家のいろんな部分も祖父が手を加えている。いわゆるリフォームだ。
また、祖父は戦時中に今で言う高校生ぐらいの年齢の時に佐世保の造船所で働いていて、経緯は聞いていないが被爆している。
つまり、被爆者だ。
こんなエピソードがある。
妹がまだ幼かった頃、祖父は急激に髪の毛が抜け(これが被爆の影響かどうかはわからない)、部分的に一気に禿げた。そんなある日、妹が突然祖父の頭をなでながら、「おじぃのあたま、はげてるね~。」と言い放ち、周囲を爆笑させた。もちろん祖父も笑っていた。
とにかく笑うときは笑い声が大きく豪快だった。
いつだったか、僕、妹、叔母の息子二人、要するに孫が全員集合した日に、テレビで志村けんのバカ殿をやっていて、みんなで爆笑したのをすごく覚えている。
そっか…。もう会えないし、もうあの笑い声は聞けないのですね。
今頃、祖母とあの頃のように、いっぱいお話をしているのだろうか…。
時間を11月24日に戻します。
お坊さんが来て、法要を終えたあと、夜、親戚やいとこのみなさんが来てくれて、手を合わせてくれた。
ひと段落すると叔父と飲みに行き、帰ると、もう午前0時を回っていた。
祖父の部屋からは、あの大音量の昭和歌謡はもう聞こえない。
以前より静かになったはずなのに、逆になかなか寝付けない。
また少しだけ泣いた。
宮古島にいる間、「忘れたくない」そういう思いが強くて、部屋の隅々を記憶したくて、ウロウロとうちの中を徘徊した。
妹に、ここでこんな出来事があったのだと、たくさん話した。
屋根裏にはたしか大量のレコードがあったはずと、覗いたけどなにも無かった。
今ではスーパーの敷地になってしまった部分も、ここは元々は我が家の畑だったことを思い出し、バッタや蝶を追いかける僕を重ねた。
あ!と思った。
どうやら時を旅していたのは僕の方だったようだ。
みんながそれぞれの生活の場所へ帰った次の日。
「また来るね。」
そう言って僕は宮古島を後にした。
そして僕は日々へと帰ってきた。
でもね、心を探ってみると、聞こえてくる。
祖父のあの笑い声と、大音量の昭和歌謡が。
♪しずかにしずかに、手を取り手を取り
あなたの囁きはアカシヤの香りよ
アイラブユーアイラブユー
いつまでもいつまでも
夢うつつ彷徨いましょう
星影の小怪よ
【戯言】丸選手の移籍記事で思い出すあの日【プロ野球】
ブログ再開します!
と言ったものの、今度は私用が忙しくなって、なかなかアップできてないので、すごい気持ちの悪い、やきもきした感じです。なので、場つなぎ的な感じで投稿します。
まぁ、ブログに書くほどのことでもないので、ツイートするだけにとどめようかと思ったのですが、Twitterでは文字数が足りないなり〜。
なのでブログで。
数年前の広島東洋カープの沖縄キャンプ。もうほとんど観覧者のいないサブグランド。
夕陽でセピア色に染まったグラウンドでは外野ノックが行われていました。
ノックを受けてる選手は3名ほどだったと思います。
そして、ひときわ大きな声を出していて、元気で活力みなぎる選手がそこにはいました。
それが、本日、巨人への移籍が決まった、丸佳浩選手でした。
丸佳浩 2018年 個人成績
プロ野球 - 広島東洋カープ - 丸 佳浩 - スポーツナビ
僕は横浜DeNAベイスターズのファンなのですが、あの丸選手の元気が気持ちよく、試合でみるたびに陰ながら応援してました。
FA移籍の報道があってから久しくなりますが、遂に決まったんですね〜。
昔の僕なら「また巨人かよ~(怒)」となっていたけど、最近はそういうの特にないな。
不思議なもので、やっぱ、巨人が強くないと寂しいというか、なんとなく張りがないというか、面白くないというか・・・。
憎っくき巨人軍が復活してくれたら、それはそれで嬉しいという思いです。
あの日の夕暮れ時のように、元気に声を出して、グラウンドで躍動して欲しいです。
丸選手、応援してます。
FA宣言の丸、巨人入り表明!「環境を変えて一からチャレンジ」 原監督直接出馬実った!!(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース