たいらじゅんが日記を書くってよ

日記・備忘録、的な。

【音楽】エレファントカシマシ「奴隷天国」【懐古】

伝説の音楽番組

あなたはかつて「eZ a GO!GO!(イージーアゴーゴー)」という音楽番組があったことをご存知だろうか?

僕が知っている限り、ライブ型式の音楽番組はこの番組が初だったように思います。

なにせ、ダウンタウンの「HEY!HEY!HEY!」の放送が始まったとき、歌のシーンを観た時には真っ先に「eZ a GO!GO!みたいな番組だな。」と思ったのだから。

ステージがあって、オーディエンスがいるというスタイルの最初の音楽番組だったと記憶してます。

 

出演者は、オリコンとかでバリバリにチャートインするようなメジャーなアーティストよりも、音楽通の間で知られたアーティストが多かった気がする。

僕はこの番組で大沢誉志幸や、松岡英明詩人の血など、割とマニアックなアーティストを知る事になります。

MCには懐かしのU2ROCKET、そしてそして、後にJUDY AND MARYのヴォーカルとして大人気となるYUKIさんが務めていました。

 

僕がこの番組を知ったのは中学3年生の頃だったと思う。

当時、僕は沖縄で暮らしていて、土曜日の深夜に放送されていたこの番組が好きでした。

 

そして、ある日、いつものようにこの番組を観ていると、衝撃的なバンドを目にするのです。

 

 

衝撃のエレファントカシマシ

歌う曲は「奴隷天国」。

まず「奴隷天国」というタイトルからして、なんとも危険な香りがプンプンと立ち込めているのですが、その胸騒ぎをさらに加速させるかのように、イントロでドラムがガツガツとリズムを叩き込みます。そこから荒々しいギターのリフが入ってくるという、極太なロック!

ロック好きな僕は、正直、ここまでは素直にかっこいいと思いました。

でも問題は出だしの歌詞ですよ、出だしの歌詞。

 

 

♪太陽の下 おぼろげなるまま 右往左往で あくびして…

 

死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぃぇいぃ!!!!

 

である(笑)。

 

当時僕は、音楽で「死ね〜!」なんて絶叫する人を初めて見たわけで、もうその衝撃ときたら、半端じゃなかったっす。

しかも雰囲気がやたらと怖い。

ギター投げたり、イスを蹴飛ばしたり、大型のスピーカーを倒したり、やりたい放題。

後半はオーディエンスに向かって「なに見てんだよ!おめぇだよ!(注:一応、これは挑発しているわけではなく、歌詞カードにも載ってる正式な歌詞です)」と、がなりたてます。

ちなみにこれ、最初にも書きましたが、ライブ型式の音楽番組なんですよ。

オーディエンスの皆さん、ひいてたんじゃないかな。それか、恐怖におののいたか。

 

僕が初見で衝撃を受けたアーティストは、THE BLUE HEARTS甲本ヒロトさんと、エレカシ宮本浩次さんの二人だけです。

 

なぜ僕が今回エレカシをピックアップしたのかというと、エレカシを観るたび、聴くたびにこの日の衝撃を必ず思い出すからです。

しかも、今回は、僕の好きなCHAGE&ASKAからエレカシに行き着きました。

どういうことかというと…

 

1.ASKAの「伝わりますか」をyoutubeで聞いていた。

2.関連動画で、ちあきなおみの「伝わりますか」を聞いた(ちなみに、元々ASKAさんがちあきなおみに提供した曲)。

3.さらに関連動画で「喝采」を聞いた。

4.エレファントカシマシが「喝采」をカバーしてるのを思い出した。

5.奴隷天国を思い出した。

 

ということです。

 

そこで、僕はyoutubeで検索かけてみました。

ありました。

間違いなくあの日みた番組です。

ここではリンクは張りませんが、興味がある方は、youtubeで、

「奴隷天国 初期エレカシ

で検索をかけてみてください。

 

ちなみに僕は、この曲が収録されているアルバム、その名も「奴隷天国」は買いました。

とにかく衝撃的でしたし、曲自体はかっこいいと思えたからです。

ただし、僕はファンではないので、細かくあーだこーだは言いませんが、下記のブログを拝見して、なるほどなとは思いました。

 

ameblo.jp

 

当時はもしかすると、この曲によって、ただの危ないやつらだと思われていたかもしれませんが、時代が変わり、世間のこの曲に対する感覚はちょっと違う感じになっているのかもしれませんね。

 

 唯一無二の存在感

バンド小僧だった僕は、当時発刊されていた月刊誌「バンドやろうぜ」という雑誌を好んで読んでいましたが、よくエレファントカシマシの名前は目にしました。軒並み評価は高かった事を記憶しています。

本当に音楽関係者からの評価は高かったのです。しかし、お世辞にも売れているとは言えませんでした。

それでも、「悲しみの果て」で遂に世間一般にも知られるようになり、「今宵の月のように」で一気にスターダムへと駆け上がっていきました。

 

宮本さんの存在感って、ほんと独特ですよね。

あー言うのを「唯一無二」って言うのだと思います。

僕が紹介してる動画では、恐らく曲の終わり方が決まってなくて、とりあえず、自由に歌い叫んでいる宮本さんの雰囲気にあわせて終わっているという感じを受けるのですが、それがなんとなくかっこいいです。

ライブ中にフィーリングの合わないドラマーに向かってマイクを投げつけた事件もあり、なんとなくおっかないとこもありますが、歌っているときの宮本さん、インタビューを受けているときの宮本さん、あの普通じゃない感じ。

僕は好きです。

 

あぁ、名古屋こねぇかな~。

こう記事を書いてみると、是非とも生で観たくなりました。

 

って事で、今回はこんな感じかな。

では、また次回。

 

今回の記事について動画も作成しました。

ぜひご覧ください。


【音楽】エレファントカシマシ「奴隷天国」【懐古】

 

奴隷天国

奴隷天国

 

 

動画投稿しました 9月10日月曜日

前回、9月4日と9月6日にアップした「初めて救急搬送された時の恥ずかしい話し」の動画をアップしました。

少し長いので、作業しながらでも聴いてくださいな。

 


【経験談】初めて緊急搬送された時の恥ずかしい話し【戯言】

 

9月4日にアップした記事はこちら

jyunbo.hatenablog.com

 

9月6日にアップした記事はこちら

jyunbo.hatenablog.com

 

動画をアップしてみました

はいさい!

 

取り急ぎ、初めてyoutubeに動画を投稿したので(正確には初めてではないけど)。

 

しゃべりへたくそ。

なまりがひどい。

イントネーションが変。

声が小さい。

 

です。(すみません)

ま、今後もブログと連動して動画をアップしていきますので、よろしく!

 


【プロレス】生まれて初めてプロレスを観た時の記憶【観戦記】

 

 

【経験談】初めて救急車で搬送された時の恥ずかしい話し その2【狭心症】

さてさて、前回の続きです。

 

jyunbo.hatenablog.com

 

「オシモノケ」ってなんですか?

病院に搬送された僕は、沢山の看護士さんやお医者さんに囲まれて、血を抜かれたり、点滴されたり、いろんなことをされます。

一応、ニトロの効果なのか、そのときには胸の苦しみはある程度は落ち着いていましたね。

そんでまたガラガラと運ばれ、エレベーター乗ったりして病室に。

入院です。

次の日に精密検査をし、その翌日に退院するという流れでした。

 

病室は大部屋です。

向かい側には男性の患者さんがいました。(いびきがすごかった。)

息子が喘息で入退院を繰り返していた経験があったので、病院生活は慣れていました。

それでも、きつかったですね(汗)

時間はスマホで潰すことができますが、当時、喫煙者だったのでタバコが吸えなかったのがきつかったです。ほんとうにきつかったですね。

窓から周りを伺って、コンビニの看板を探しました。

でも、点滴してるので、外へ出れないんですよね。出ようと思えば出れるはずですが、点滴をガラガラとひいて歩くのがおっくうで、結局あきらめました。

ちなみに、検査のあとに医者からもきつく言われたこともあり、この日から禁煙して、今日まで吸っていません。

 

翌朝、検査の日です。

朝一で担当医からカテーテル検査を行うこと聞き、その説明を受けました。

 

その後、担当の女性の看護士さんがやってきて言うのです。

「足の付け根からカテーテルを通すので、これで『オシモノケ』を処理してください。」

 

僕は聞きなれない言葉だったので、一度聞き返します。

「オシモノケです。」

 

それでもわからなかったのですが、手渡された電気シェーバーで、ようやく理解しました。

 

お下の毛

 

って事ですね。

それを処理しといてくれということだったのです。

僕ちんは、そ~んな簡単なことも、ぜ~んぜん分かんなかったよ。

あはは~(白目)

 

「ご自身で難しければ、他の者でいたしますが…。」

と言うものだから、全力で拒否。

トイレで秘密の時間を作って自分でやりました。

なんか…

 

虚しかった…(TmT)ウゥゥ・・・

 

カテーテル検査

さて、きれいにしました。きれいに剃りましたぞ。

そして看護士さんに検査室へと連れて行かれ、診察台へ。

もう一度担当医からの説明があり、いよいよカテーテル検査が始まります。

 

いや、これ、最初がかなり痛かった。

確か、手首に麻酔を打つときです。一瞬、体がカッ!と熱くなります。

 

そして、右足の付け根からカテーテルを通します。

麻酔をしてるとはいえ、なんとなく体の中を何かが巡っている感覚はあります。

一応、僕もモニターを見てるのですが、なにがどうなのか、はっきり言ってよくわかりません。

もうね、「早く終わってくれ。」

心の中でそれをずっとつぶやいてました。

時間は40分ぐらいかかったと思います。

 

検査後は手首に空気圧のベルトみたいなのを巻かれました。

強い圧迫止血です。

これが結構強烈で、フリッツ・フォン・エリックが僕の手首をギューーーーーッと掴んでいる感じです。

病室にもどってからも、何度か担当の看護士に手首が痛いことを伝えますが、止血のためなので我慢だといわれます。

トホホ。

 

新たな地獄

検査が終わって、とりあえず一段楽したとおもいきや、ここからです。ここからがまた地獄でした。

2時間安静にしなければならず、体も軽く固定されます。

事前に説明は受けていたのですが、トイレにはいけません。

カテーテル尿道に通すかと聞かれたのですが、それは拒否しました。

なので尿瓶です。尿瓶。

で、案の定トイレに行きたくなります。

最初は我慢しておこうと思ったのです。

ところが、もう我慢できないところまであっというまに到達します。

限界です。

限界です。

限界です。

 

仕方ないので尿瓶を手に取ります。

はぁ、もう泣きたい。

そう思いながら、いざ用を足そうとします。

 

・・・

 

シーン…。

 

出ません。

どんなに出そうとしても出ません。

一生懸命だそうとしますが、一滴も出ません。

 

うぉぉぉぉ〜!

 

と叫んでも出ません。

頭では「出せ!」と指令しているはずなのですが、体が反応しません。

恐らく、ここはベッドであって、トイレではないということが無意識に働いていて、体がストップをかけているのだと思いました。

このままでは膀胱が破裂してしまう!

まじめな話し、かなり焦りました(汗)

あきらめずに何度もトライします。

でも、、、

 

ぜっっっっったいに出ません!

 

なんどトライしたことでしょう。

一応、看護師にもダメもとでトイレに行かせてと聞いてみますが、やはり許可は下りず。

いよいよ本当に漏らしてしまうほどやばいってなった時に、もう一度トライしました。

すると、遂に、遂に、用を足すことに成功するのです。

ほんと嬉しかったです。

 

後日、みんなそういう経験があるんじゃないかと思って検索してきたら、出てきました。

blog.goo.ne.jp

うんうん。苦しいよ。これ。

 

検査結果

ここまでいろいろ書いてきたので、僕がどういう状況なのかもう一度まとめますが、前日の早朝、胸の苦しみで目を覚まし、救急搬送され入院し、その検査を行ったというところまで来ています。

 

そして検査結果はその日のうちで出ました。

結果は・・・

 

冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)

 

心臓の冠動脈(心臓に栄養を送る重要な動脈)が、なんらかの原因でけいれんを起こして細くなり、心臓への血流が不足し、胸痛発作を起こすということでした。

この発作は早朝におきるという特徴もあるようです。

ぼくがそうでした。おかげで朝立ちをみられたけど

 

また、正確な原因もわかっていないということです。

ただし、たばこは絶対にやめなさいということでした。

なので、先にも書きましたが、禁煙してます。

 

あと、この病気と生涯付き合うことになるので、毎日薬を服用することにもなりました。

仕方ないですね。

 

 

はい。こんな感じです。

僕はこのときの経験から、本当に病院のお世話にはなりたくないと思っています。

恥ずかしい思い、いっぱいしちゃった。

 

今はとても元気です。

あの日以来発作はありませんが、薬の関係で月に1度、通院はしてます。

食生活もだいぶ見直しました。

そうそう、痛風の薬も同時に処方してもらうようになったので、かるい運動も始め、痛風の大敵である無酸素運動もすこしずつ始めています。

以前より活動が活発になっているような気がしますね。

「健康のためなら死んでもいい。」なんて名言(迷言?)があるのですが、ま、あんまり肩に力入れず、楽しく生きていきますわ。

 

今回の内容を動画でまとめています。


【経験談】初めて緊急搬送された時の恥ずかしい話し【戯言】

 

www.jhf.or.jp

 

 

【経験談】初めて救急車で搬送された時の恥ずかしい話し その1【狭心症】

移ろう季節

先日、ふと暦に目をやりました。

「そっか、もう9月なのか。」

そういえば、いつもの散歩道の木々の緑葉に、ちらほらと黄色がかったものや、散っている葉を見かけるようになったし、稲穂もだいぶ育っているように感じる。

まだまだ暑いけど、ピーク時と比べたらだいぶ気温も落ち着いた。ま、酷暑時の42℃とか異常な暑さと比べるのもどうかと思うけど。

黄昏時も早く訪れるようになった。

移ろう季節。秋はもうすぐ。

 

そうこう考えていると、僕が初めて救急搬送された日から1年を超えていたことにようやく気付いた。

今思い出すだけでもちょっと恥ずかしい話し。

今回はすこしだけ勇気をだして書いてみよう。

長くなりますが、順序だてて書いてみたいと思います。

 

2017年7月29日(土曜日)

太陽。夏真っ盛り。そして休日。

その日は、いつもの様に部屋を掃除し、図書館へ出かけ、帰宅した後は昼寝をしていたと思う。

ふと気付くと、近くの学校(高校)から、なんだか頻繁にアナウンスが聞こえる。

てっきり陸上競技大会みたいなのをやっているのかなと思って無視してゴロゴロしてたのだけど、どうも様子が変だ。

夕方になっても聞こえてくるし、体育会にしては和風な音楽ばっかり流れている。

ハッとした僕は、「ガバッ!」と起き上がり、すぐに窓をあけて、音が聞こえるほうへ耳をやった。

「これは何かのイベントかもしれない。」

そう思って、音楽の聞こえる場所へと歩いていった。

 

この頃の僕は、沖縄から越してきて約1年は経過していましたが、ここ愛知県で、お祭りやイベントなどに遊びに行ったことがなく、なんとなくそういうの行きたいなという気持ちになっている頃でした。

 

会場についてみると、そこは学校ではなく、その隣の広場でした。

やぐらが組まれていて、すでに地域のサークル的な方々が盆踊りを踊っています。

正直、盆踊りには興味がなかったのですが、お祭りの雰囲気は好きです。家族連れも多く、子供たちは屋台で買った光るおもちゃを手にそこらじゅうで走ってます。

そのはしゃぐ声がなんだか嬉しい。

小さな会場ですが、数店舗出店があったので、周囲をブラブラしながらビールを探します。すると、よく見る顔がそこにはありました。

いつも良くしてもらっているコンビニの店員の皆さんでした。ビールを販売しているのはここだけだったのですが、残念ながら売り切れorz。

そのまましばらく談笑していたのですけど、盆踊り以後はなにもないみたいだし、お祭りもそろそろ終わりそう。

ま、雰囲気だけは楽しめたし、もういいかなと思って、会場をあとにしたのです。

 

ところが…。

 

完全なる飲みモード

気持ちが完全な飲みたいモードになっていて、どうも気持ちがすっきりしませんでした。

そこで思ったのが、家の近くにあるお寿司屋さん。

引越してきてから、ずっと行きたいなと思っていたお店ですが、20時ぐらいには閉まりますし、なかなかタイミングが合わなかったこともあり、ずっと行けずじまいでした。

いい機会だと思い、行ってみることにしました。

 

日進市 駒寿司

 

 

いいお店でしたね。

テーブル席もありますが、基本的にはカウンター席でお寿司を楽しむようです。

家族経営で、どちらかといえば会話しながら食を楽しむお店でした。

 

ちなみに、僕は痛風もちでして、普段はあまりビール飲んだり、海産物食べたりはしないのですが、この日は、お寿司だけではなく、ウニやら蟹味噌やら、数年ぶりにがっつり頂きました(ビールは1杯でストップしましたが)。

 

思ったより早く閉店してしまったので、飲み足りない僕は、これまた近所の中華食堂へ。

焼酎をけっこう呑んだと思います。

単なる酔っ払いと化した僕は、幸せ気分で家へ帰って眠りについたのです。

 

2017年7月30日(日曜日)

それは突然でした。

胸に違和感を感じます。

ギューッ!と誰かに心臓を掴まれている感じといえばいいでしょうか。

苦しいのです。

目を覚ました僕は、とりあえず時計を見ます。午前7時頃だったと思います。

僕は少し様子を見ることにしました。

実は、この2日前、仕事中に同じような症状がおきていたのですが、その時は5分ほどで収まっていたので、今回も様子を見ることにしたのです。

ところが、治まるどころか、どんどん酷くなっていきます。かれこれ15分以上は経過していたと思います。

やがて、びっくりするほど大量の冷や汗が体中から噴出します。

その瞬間耐えることをやめた僕は、携帯に手を伸ばし、生まれて初めて119番へ電話するのでした。

 

なぜか冷静に淡々と準備をする。そして…

電話を終えた僕は、とりあえず、すくっと立ち上がり、玄関を開けっ放しにして、財布、充電器、ipadをかばんに入れ、鍵と携帯を握り、また布団へと転がります。

今思えば、なんか可笑しい。

あんなに苦しんでたのに、なぜかこの時だけは冷静に(というか、冷静なふりだったような気がします)、ちゃっちゃと行動してた記憶があります。

でも、僕はちょっと懸念していたことがあったのですが、これはまたあとで書きます。

 

遠くで、サイレンが聞こえ、そしてそのまま遠くで音は止まりました。

おそらく住宅街に入ってきたのでサイレンを止めたのでしょう。

しばらくして「大丈夫ですかー!」という声と共に、4名ほどの救急隊員が入ってきます。なんて返事をしたのかは覚えていません。

隊員は僕の体を触るなりすぐに、「か、体が冷たい!」と言葉を漏らしていました。

たぶん、大量の冷や汗をかいたままクーラーに直にあたっていたことも原因だったと思います。

隊員さんは流石に冷静で、それでもテキパキとしていたような気がします。

そんな時、女性の隊員がいる事に気付きました。

 

こ、これはかなりやばい…。

 

こんな事言うのは駄目かもしれませんが、女性隊員が視界に入ったとき、もう心臓どころの話ではなくなってしまいました。

それはなぜか…。

 

先ほど、懸念していたことがあると書いたのですが、遠まわしにいいますと、、、

当時39歳ではありましたが、一応、僕は男なのですよ。生物学的に。

男ってさ、、、

 

朝、、、

 

元気になるところが、、、

 

あったりするのですね。。。

 

別にやましい事を考えてたとか、、、

 

へんな夢をみたとか、、、

 

ムラムラしてたとか、、、

 

そんなんじゃないのに、、、

 

、、、

 

そんなんじゃないのにぃぃぃ~!

 

「男」「朝」「元気」

しかも薄着。

 

お願いだから運転席に行ってこっちにくんなと思った。

そして元気なそいつに「お前はいい加減落ち着いてくれ!」と願った。

 でも絶対落ち着かない。

そうこうしているうちに、ストレッチャーに乗せられ、ガラガラと運ばれます。

よりによって足側のほうに女性隊員((ノД`)トホホ)。

野次馬の気配を感じていたので、周りはいっさい見ず、僕はとりあえず顔を腕で隠し、救急車に乗せられました。

(あとで聞いたのですが、大家さんがてんやわんやしていたみたいです。)

 

車内でも相変わらずその女性隊員は僕の足側に。

恥ずかしすぎて顔はずっと見ていません。

なので車内の様子もあまり覚えていません。

「これを飲んだり噛んだりせずに、舌の裏側の方で溶かしてください。」

その隊員はそう言って錠剤を口の中に入れてくれました。ニトロってやつですね。

そして、そっと毛布を被せます。

 

そっと毛布を被せます。。。

 

なんでそっと毛布を被せたのでしょうか?

たぶんみられたのでしょうね。

 

もう恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかったです。

なんだかこう書いていると、「本当はお前、元気だったんじゃねぇの?(いろんな意味でw)」と思われそうですが、めちゃくちゃ苦しかったのは本当なんです。

 

ま、そんなこんなで、豊田厚生病院に搬送されます。

そこから数日間の入院があるのですが、そこでもまたちょっと恥ずかしいことがありました。

今回はさすがに長くなりすぎなので、それはまた次回に。

 

今回の記事内容を動画にしてます。


【経験談】初めて緊急搬送された時の恥ずかしい話し【戯言】

 

ではでは。

 

続きはこちら↓

jyunbo.hatenablog.com

名古屋市:119番の正しいかけ方(暮らしの情報)

【見るとほっぺが赤くなる】恥ずかしい話!!! - NAVER まとめ

閲覧注意→https://daito-p.co.jp/reference/me

 

【プロレス】ジョシュ・バーネット vs 鈴木秀樹【レビュー】

youtubeで観ることのできる、僕のお気に入りの試合について、ネット上に散らばっている情報をまとめたり、個人的な感想をダラダラと書き込んでいます。

 

2011年12月31日、IGFイノキ・ゲノム・フェデレーション)にて行われた1戦。

僕は90年代の全日本プロレスが好きなので、もしかすると解釈がちょっと違うのかもしれませんが、いわゆるストロングスタイル”の試合って、こういうの言うんじゃないかなと思っています。

最近のケニー・オメガ飯伏幸太内藤哲也らが魅せる新日本プロレスのような派手さは全くないのですが、個人的には、かなり、かなり、かなり面白く、お気に入りの試合です。

 

三沢さんが天国へと旅立ち、胸を焦がした四天王プロレスが完全に消え、新日本プロレスも観てはいるけど、どこか喪失感がぬぐえず、熱くなれなかった僕に、改めてプロレスの奥深さ、面白さを思い出させてくれた試合でした。

今回はこの試合について書いてみます。

 

鈴木秀樹選手

恐らく、この頃の鈴木選手は、定期的にIGFバトラーツに参戦してはいるものの、まだまだ無名だったはず。…て言うか僕は知りませんでした(汗)

思うに、ビル・ロビンソン直伝のダブルアームスープレックス、高度なCACC(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)の技術で、徐々にコアなプロレスファンから注目されるようになっていったのが、この頃ではないかなと推察します。

身長も191cmと高く、ジャーマンにワンハンドバックブリーカー、ドロップキック、どれをとっても技術がしっかりしている分、一つ一つの技にキレとダイナミクスを感じます。

それでいてグラウンドの技術も一級品!

いや~めっちゃ良い選手です。

 

鈴木選手についてスーパー要約すると、、、

・元郵便局員である

・アルバイトの子に誘われてU.W.Fスネークピットジャパンに通い、だんだんのめり込み、宮戸優光ビル・ロビンソンのもとレスリングを学ぶ。

郵政民営化と異動のタイミングで退職し、2008年、IGFにてデビュー。当時28歳。

・ニックネームは「人間風車二世」

IGF時代はケンドー・カシン藤田和之からコーチを受けている。

・一度だけアントニオ猪木とスパーリングをし、猪木の押さえ込みから逃げられなかった。

・2014年からフリーとして、主にインディー団体(大日本プロレス、ZERO-1、DDTアイスリボン等)を中心に活動している。

・実はZERO-1で船木誠勝シングルマッチで勝利している。

鈴木みのる選手が試合中に『仕掛けた(恐らくシュート的な意味)』ところをきっちり対応した事もあり、試合後にお互い一礼するなど、鈴木みのる選手からの評価も高い。

・著書に「ビル・ロビンソン伝 キャッチ・アズ・キャッチ・キャン入門」がある。

・子供の頃は武藤敬司が好きだった。

・右目がほぼ見えていない

・エクレアが好き

大日本プロレス BJW認定第12代世界ストロングヘビー級王者(2018年8月時点)

 

知れば知るほど面白いのが鈴木秀樹という選手です。

鈴木秀樹 (プロレスラー) - Wikipedia

ameblo.jp

 

ジョシュ・バーネット選手

「オタク」って事で有名な選手ですね(笑)。

新日本プロレスにも所属していましたが、個人的にはあんまりプロレスラーというイメージがわかないですね。

なぜなんだろう…と考え、僕が出した答えとしては、プロレスでは名勝負といえる試合を残せなかったけれど、MMAの世界では、記憶に残るいい試合を多く残しているので、プロレスラーというよりは、格闘家としてのイメージが強いのだと思います。元UFCのチャンピオンですしね。

でも、UWFを愛している事も、前田日明さんを敬愛していることも知っていますし、短かったけど新日本プロレスに所属していたこともあったので、PRIDEに出場している時は、プロレスラーとして応援していました。

PRIDE無差別級グランプリで、ヒョードルの弟、アレキサンダーにアームロックで一本勝ちした時はめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。

たまにMMAの試合でジャーマンとか、デスバレーボムなどプロレス技を披露することがあるので、そこにプロレス愛を感じますね。

現在は引退宣言はしていないものの、試合はしていないみたいです。

 

ジョシュ・バーネット選手についてウルトラ要約すると、、、

・18歳で総合格闘家としてデビューしている。

ダン・スバーンセーム・シュルトに勝利している。

・2002年、ランディ・クートゥアに勝利し史上最年少(24歳)でUFC王者に。後にステロイド陽性反応により王座剥奪(陰謀論あり)。

・マイクパフォーマンスで「お前はもう死んでいる」「永田、お前には地獄すら生ぬるい。」など、北斗の拳のセリフを使う。

UWFに没頭し、その源流とも言えるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンをビル・ロビンソンから学んでいる。

・あのカール・ゴッチと雑誌の企画で対談している。

高山善廣から「ゼッコーチョー(絶好調)。」という言葉を教えてもらった。

NHK教育テレビの「えいごでしゃべらナイトJr」に出演したことがある。

PS2を所持していて、ファイプロで選手をエディットしCOM観戦するのが好きである。

・とにかくオタク。まじオタク。

 

ジョシュ・バーネット - Wikipedia

ameblo.jp

 

 

二人のエピソード

二人には CACC(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)という共通点があります。

共にビル・ロビンソンからもコーチを受けてます。

 

ある日、鈴木選手のもとにバーネット選手から連絡がきて、それには「passed awey」と書かれていたそうです。

鈴木選手は意味を調べて、そこではじめて師匠であるビル・ロビンソンが他界したことを知ったようですね。

二人がどのくらい仲が良いのかはわかりませんが、この事からプロレスの「遺伝子」「血」の部分では繋がりあっているってことは、お互い感じているような気がします。

 

そんな二人が、2011年の大晦日IGFのリングで相見えることになるのです。

 
U系のプロレスを髣髴させるスリリングなレスリン

「スリリングなレスリング」なんて、なんかのラップみたいですね(笑)。

リングアナはケロちゃんこと田中秀和さん(現:田中ケロ)、そして裁くレフェリーは和田良覚さんです。

 

ちなみにこの試合ではロープワークは一切ありませんでした。

一応、IGFルール(この頃のIGFルールとは普通の「プロレスルール」です。)での対戦になっています。

スタンディングでの打撃戦も一応ありますが、お互いCACCをベースにしていることもあり、ほとんどがグラウンドの展開です。

ていうか、終盤までほぼそれ。

もう一度言いますが、ロープワークは一切ありません。

お互い、テイクダウンを狙い、腕、足、首、背後を絶え間なく取りに行きます。

打撃といえばグラウンドで掌底を打ち合ったり、たまに、鈴木選手が得意のエルボー、ドロップキックをみせるぐらいです。

一見、総合格闘技のように見え、かつてのU系のプロレスを彷彿とさせます。

これが本当にスリリングで、しかも絶え間なくずっと動いているので、観てるこっちがバテそうになるんですよ~。息が詰まる攻防です。

序盤、背後の取り合いから鈴木選手がコブラツイストを仕掛けようとするところで観客がざわつきます。

良いですね。現代では見慣れたクラシカルなプロレス技で歓声があがろうとした瞬間です。

5分経過のアナウンスと共に、鈴木選手がこの試合初のプロレス的投げ技「ブレーンバスター」を炸裂させます。

実況が「Oh!Beautiful Suplex!」と思わず叫ぶほど(動画は海外実況です)、綺麗な弧を描き、ドッと観客も沸きます。

しかし、負けじとバーネット選手がかなりえぐいレッグロックからスタンディングのアキレス腱固めへ。そしてそのまま逆片エビ固めへと移行し、そこからさらにSTFへと流れるように移行します。

いや~、すばらしい流れです。

 

ここからはほぼバーネット選手のペースです。

やはり基本はグランドでの展開ですが、そこからクラッチして、ハーフハッチスープレックス、ノーザンライトスープレックス、さらにはキーロックを極めたりします。

 

僕がこの試合の好きなところは、基本的にはグランドでのレスリングが中心なのに、ブレーンバスターにノーザン、ハーフハッチとか、数は少なくとも、たまにでるプロレス技がとても光って見えるところです。

僕は四天王プロレス好き好き人間ですが、巡り巡ってここにたどり着くのかと、なんか不思議な感覚に陥りました。

 

「頭から落とすだけがプロレスじゃねぇんだよ。」

 

この言葉は、去った8月に行われた新日本プロレスG1クライマックス真田聖也vsザック・セイバー・ジュニア戦後、丸め込みでテクニカルな勝利をした真田選手の言葉です。

まさにバーネットvs鈴木は、僕にとってこの言葉を教えてくれた試合だったような気がします。

以後、僕はキャッチ系のプロレスを好んで観るようになり、最近では「world of  sports」という、昔、イギリスで放送されていたプロレス番組を食い入るように観ています。

 

結局、試合結果はどうなったかというと・・・。

ま、そこは、興味があればご自身で観ていただければと思います。

 

 

最後に

この記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

最後にお願いがあります。

今後も、お気に入りの試合について、感想でも書いていこうかなと思うのですが、もし、あなたのお気に入りの試合があれば、ぜひ教えてください!

その試合についてもレビューしていこうかなと思っています。

ニコニコ動画youtubeで観れる試合です。ただし、動画へのリンクは基本しません。(権利関係は配慮します。)

まぁ、いろんな試合を通して、コメント欄等で交流ができればなと思っています。

 

長くなりましたが、今後とも当ブログを、よろしくお願いします!